Call Me By Your Name
南イタリアの豊かな緑と美しい水辺で家族と夏を過ごす主人公、エリオ。
自転車で街まで出かけてサイダーを飲んだり、バッハの曲をリストが編曲したらこんな感じってピアノを弾いたり、秘密の泉に浮かんで考えごとをしたり、家族とはスーパーインテリジェント&アカデミックな会話を交わす。
そんな、見ていて嫉妬を覚えてしまうくらいの、心身ともに栄養がいきわたる健康的な環境で、彼は誰しも覚えがあるだろう、自意識と憧憬のあいだで揺れる、痛々しいほど強烈な初恋をする。
映画を通して、私は何はともあれ、ずっと羨ましかったわけなのだけれど、南イタリアの青い空や、エリオをとりまく文化的で上質な会話(しかもマルチリンガル)にはじまるシチュエーションももちろんだけれど、何より一番羨ましかったのは、聡明で柔軟で、強い優しさを持った彼の両親についてだ。
彼らのような包容力、死ぬまでに身につけたいものだよ……。
映画全体で一番に心に残ったのが、彼の父親が打ちひしがれるエリオにかけた言葉で、あの言葉にこの映画のすべてが凝縮されていたように思う。
とにかく、この映画はお互いが初めて同性を好きになるという単なるゲイ・ラブストーリーではない。
人生でただの一人でも見つけられたら幸運だといえるだろう、自分の魂の分身と並走する運命の一瞬を、この上なく美しく描いた絵画のような作品だ。
私は、エリオとその恋の相手のオリバー、ふたりが生来ゲイ、またはバイセクシャルだったかというと、そうではないと思っていて、またそこに肝があると思う。
つまり、この映画のテーマは、見つけた魂の片割れが、例えば自分がヘテロセクシャルの場合の同性、ゲイの場合の異性、または何世代か隔たるような大きな歳の差があったり、もしかすると血縁があったり、老若男女、どんな相手であったとしても、そのことが愛することを阻む理由にはならないということ。
本当の愛はそうした性差、年齢、血や、種族、環境などすべての要素を超えてあるものだということ。
その対象そのものその存在だけに始まって終わるということ。
“Call me by your name(君の名前で僕を呼んで)” というのも、相手の中に自分の魂をみていることを象徴する台詞だ。
そして、同時にとても官能的な表現でもある。
誰しもがまず一番に自分自身を愛しているからこそ、その名前で相手を呼び、その名前で自分が呼ばれて愛を交わすことには、怖いほどの官能的効果があるはずなのだ。だけど、異質な者同士がそうしてみても、単なる相手を無視したナルシシズムに終わってしまうか、埋めがたい違和感でしっくりこないだろう。
それがエリオとオリバーの場合には相手に自己を投影しても、相手の存在を消してしまうことがないほどに、お互いが別々なままで融和し深く混ざり合うことができていたのだ思う。
奇跡のような瞬間を痛みを感じるほど生なましく描いた映画だった。
人の愛の本質を捉えたテーマと、シーンの美しさでいつまでも残る映画だと思う。
ちなみに、続編の制作がすでに決定していて、監督は引き続きルカ・グァダニーノ、エリオ、オリバー役のティモシー・シャラメとアーミー・ハマーの続投も決まっている。
ストーリーは舞台をアメリカ東海岸に移し、本作の5〜6年後に再会したふたりが世界を旅するという胸熱のストーリになる予定だそう。
才能の塊ティモシー・シャラメの成長とともに、今から大変楽しみ。
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